名古屋地方裁判所 昭和33年(ワ)211号 判決 1961年5月31日
原告 神谷太一 外一四四名
被告 豊田工機株式会社
主文
原告等の請求を棄却する。
訴訟費用は原告等の負担とする。
事実
原告等訴訟代理人は「被告は原告等に対し別紙第一表「請求金額」欄記載の金員並びに之に対する本訴状送達の翌日から完済に至る迄年五分の割合による金員を支払え」との仮執行宣言付判決を求め、その請求の原因として次のとおり述べた。
(一) 被告は機械器具の製造販売を業とするものであり、原告等(但し原告中山貴代子を除く)は孰れもその従業員であつたが、被告は昭和二九年九月一〇日付で原告等(前同)に対し已むを得ない業務上の都合によるとの理由で解雇の通知をした。
(二) 被告には昭和二二年二月五日制定以来原告等(前同)の解雇時迄実施されていた退職手当金規定がありその第三条に「従業員が左の各号の一に該当し退職する場合は已むを得ない事由による退職と認め、別表第二号表により退職手当金を支給する。(一)停年退職(二)負傷疾病等により将来業務に堪えないための退職(三)死亡」と規定し、第四条に「この規定の有効期間中万一会社において業務の都合により従業員の一部又は全部解雇の止むなきに至つた場合は株主総会の承認を得た上、経営協議会に於て退職手当率を協定する」と規定している。右第三条は会社側の一方的都合によらない退職の場合に別表第二号表により退職手当金を支給する旨を定めており、第四条は専ら会社側の責に帰すべき一方的事情により解雇すべき場合における規定である。通常の解釈に従えば第四条の場合は第三条の場合より一層多額の手当金を支給すべきは論を待たないところである。右退職手当金規定第三条、第四条と昭和二二年一月二七日被告と原告等の所属していた刈谷工機労働組合(全国金属労働組合愛知地方本部豊田工機支部の前身)との間になされた「右退職金規定第四条による退職手当金は第二号表に十二ケ月を加算することを前提として株主総会並に経営協議会において責任をもつて善処することを約する」旨の覚書に基いて原告等(前同)は少くとも右退職手当金規定第二号表による退職金の支給を受ける権利を有する。右第二号表によつて原告等(前同)の退職金を計算すると別紙第二表「退職金額」欄の金額となるところ、被告は同表「会社が支払つた退職金額」欄記載の金額のみ支払つたにすぎぬので原告等(前同)は未払の退職金(別紙第二表の「差引未払退職金」欄記載のとおり)の支払を求めるべきところ本訴においてその内金として別紙第一表原告名下それぞれの「請求金額」欄記載の金額とこれに対する本訴状送達の翌日以降完済まで年五分の遅延損害金の支払を求める。
(三) 原告中山貴代子の亡夫中山岩吉は被告の従業員であつて、他の原告等と同様の理由にて別紙第二表の「差引未払退職金額」欄記載の退職金請求の権利を有するものであつたが、昭和三〇年四月二六日死亡し原告中山貴代子は相続により右金額の三分の一の債権を取得したからその内金として別紙第一表同原告名下の「請求金額」欄記載の金額とこれに対する前同様の遅延損害金の支払を求める。
被告の抗弁に対し、(一) 昭和二二年制定の退職金手当規定は原告等(原告中山貴代子については亡中山岩吉以下同じ)退職当時においても有効に存続していたものである。それは、(イ)被告が昭和二六年一一月に原告等を組合員とする組合に対し「退職手当金規定一部改正の件」と題する書面を以て改正の申込をした事実(ロ)被告が昭和二二年二月五日より昭和二九年八月三一日迄引続き右規定により退職手当金を支払つて来ている事実(ハ)被告は昭和二六年の商法改正以後においても退職手当引当金という科目で昭和二七年三月三一日金二三、五四〇、四三〇円九七、同年九月三〇日金三一、六五三、三一一円九三、昭和二八年三月三一日金三六、八六三、九二五円五五、同年九月三〇日金四二、三二八、一四〇円二〇、昭和二九年三月三一日金四五、八四二、七八三円〇〇、同年九月三〇日金二九、九一九、七一八円〇〇を積み立てていた事実に徴し明白である。
(二) 被告が昭和二九年九月一日なした前記退職手当金規定を廃止し特別の定めをした行為は全国金属労働組合愛知県本部豊田工機支部(以下単に組合と略称)との協議を経ていないから無効である。即ち、当時効力を有していた被告会社の就業規則の前文に「これが適用並びに改廃についても同様双方協議の上之を定めるものとする」とあり、就業規則第三六条に「退職手当等諸給与については別に定める」とあるから就業規則前文の協議義務は退職手当金規定の改廃に及ぶことが明白であるところ、右退職金手当規定の改廃について被告は何等組合との協議を経なかつたから無効である。右解釈が失当としても、被告は右改廃について労働基準法第九〇条第一項、第八九条第一項に規定する労働者の過半数の意見徴取及び行政官庁への届出を為していないから右退職手当金規定の改廃は無効である。従つて従前の退職手当金規定は有効に存続する。
(三) 被告と組合との間に解雇従業員の退職金についてなした労働協約が成立したのは昭和二九年九月二一日であるが、これより先き同月一〇日に原告等は退職しているのであるから右労働協約が遡及して原告等の右退職に伴う退職金支払について効力を及ぼすものではなく、又右協約の締結について原告等は組合員として訴外組合より何等の意見も徴せられず何等関知していないので、右労働協約の効力は何ら原告等に及ぶべきものでない。
(四) 本件退職手当金規定第四条は商法改正により失効したものと解すべきではなく、商法改正前株主総会が有した権限は商法改正により取締役会に移つたものであるから右第四条の株主総会の承認は取締役会の承認と読み替えて、これを有効に解すべきである。
(五) 原告等は被告主張の供託金の還付を受けたが、これは原告等において生活に窮し已むなくしたものであり、しかも退職金の一部として受領する旨被告に申し入れて受領したものであると述べ、
更に被告の代理権の主張について、それは労働組合法第一条から言つて首肯し得ない。労働組合が労働協約の締結により、又は使用者が就業規則或いは退職金に関する規定の改正により労働者の労働条件の低下を来すことが起り得ても既に具体化された労働者の債権を労働組合が之を減額したり又は消滅させたりすることは不可能と言わなければならない。又組合から脱退しなかつたことが代理権の委任と認められるとの主張であるが退職金の支払について訴外組合が有利に解決してくれるものと信じ又労働組合の本質として解雇された労働者の利益を擁護するのがその目的と考え、原告等は敢て組合を脱退しなかつたものであると反論した。(証拠省略)
被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、
答弁として、請求原因第一項は認める、第二項中被告会社に退職手当金規定が存在し、その第三条、第四条に原告主張のとおりの規定があり、被告と原告主張の組合との間に存する覚書に原告主張のとおりの記載のあること、別紙第二表中の原告等の勤続年数が原告主張のとおりであることは認めるがその余の各事項はすべて争う。第三項中訴外中山岩吉が被告の従業員であつたが、原告主張日時死亡したこと、別紙第二表中同人の勤続年数及び同人に支払つた退職金が原告主張のとおりであることは認めるがその余は否認する。と述べ、
抗弁として、(一) 被告会社の右退職手当金規定は原告等(原告中山貴代子については亡中山岩吉。以下同じ)の解雇処分を受けた当時既にその効力を失つている。即ち、右退職手当金規定は昭和二二年二月五日制定施行されたものであるが、当時物価変動が甚しく到底恒久的な退職金制度を制定することが不可能であつたので一時的応急措置として設けられたものであつて特にその附則第一条において有効期間を実施の日から一年間と定めると共に期間の更新についても何等の規定も設けられていないから右規定は昭和二三年二月四日限り有効期間の経過により失効している。従つて、原告等は右規定に基いて退職金を請求する権利を有しない。
(二) 仮に然らずとするも、被告は昭和二九年九月一日右退職手当金規定を廃止し、今次人員整理に適用すべき退職手当金算定の準則を定め、これを組合に通知したから原告等は右退職手当金規定に基いて退職金を請求する権利を有しない。
(三) 仮に然らずとするも、昭和二九年九月二一日被告と原告等の所属する全国金属労働組合愛知地方本部豊田工機支部(以下単に組合と略称)との間に原告等を含む今次解雇者に対する退職金について特別の定めをした労働協約が成立し、右労働協約は原告等の退職金につき前記退職手当金規定によることを変更したものであるから、原告等の退職金については右労働協約の定めるところによるべく、右規定の適用はない。即ち被告会社においては昭和二九年九月経営状態の悪化に伴い人員整理の必要已むを得ない事態に立ち至つたので、被告会社は原告等三六六名を解雇すると共に従前の退職金を支払うことを打ち切ることに決し、同月一日組合に対し原告等三六六名を解雇すること、被解雇者に対し特別の定めによる退職金を支払うべきことを申し入れた。これに対し組合は直ちに執行委員会及び大会を開いて闘争方針を決定し、被告会社と団体交渉をなし、ストライキを実行したのであるが、同月一五日の大会において人員整理の已むを得ないことを認め所謂条件闘争に入ることを決議し、その方針で被告と団体交渉をなした結果、同月二一日妥結し、被告と組合との間に組合は原告等三六六名の解雇を承認すると共に被告は原告等の被解雇者に対し前記会社申入額に一定額を加算した退職金を支払うべき旨の協定が成立し、協定書を作成し双方代表者においてこれに記名捺印した。右協定はその性質は労働協約であり、その内容は原告等の退職金については右退職手当金規定によることを変更したものである。凡そ当事者双方の合意により決定したことも当事者双方の合意があればいつでも変更できるのであるから当事者の一方が一方的に決定したことは両当事者の合意によつて有効に変更し得ることが当然の法理であることに鑑み、被告が一方的に決定し得る就業規則たる性質をもつ「退職手当金規定」は被告と組合との間に締結された「労働協約」により有効に変更されたものとなさざるを得ないのであるから、原告等は前記労働協約に基き算定された退職金(その明細は別紙第三表のとおり)を請求し得るに止り、退職手当金規定に基く金額を請求する権利は之を有しないのである。
(四) 仮に然らずとするも、右協定は退職手当金規定第四条に規定する「協定」に該当し、その内容をなすものであるから原告等は右協定による退職金を請求する権利を有するに過ぎない。尤も右第四条には「経営協議会において協定する」旨規定せられているが、経営協議会は労使双方同数の代表者により構成され、労働協約の締結その他労働条件に関する事項が協議され、その議題は法律上団交の対象と同一であるから経営協議会の法律上の性質は労働法上の団交に外ならない。右第四条に「経営協議会において協定する」と規定したのは団交と区別する意味において定めたものではなく、労使双方の交渉により協定すべき旨を定めたものであり、而して労使双方の交渉は即ち法律上の団交に外ならないから、第四条に「経営協議会において」とあるは法律上の団交の一として経営協議会を例示的に掲げたものと解すべきである。従つて九月二一日成立の右協定は形式的には経営協議会においてなされていなくとも、被告と組合との団体交渉により成立したものであるから実質的に前記退職手当金規定第四条に該当するものというべきである。
(五) 仮に、原告等に対する退職金の支払について、前記退職手当金規定が適用されるとしても、同規定により原告等に支払わなければならない金額は同規定第四条に定めるところによるのであつて、同規定第三条の適用される余地はない。即ち、右退職手当金規定はその構成よりして明らかなとおり、退職金を支払うべき退職事由を四つの場合に区分して第二条ないし第四条に各別に規定し、夫々退職金の算定基準を異にしているのであり、従つて右各条は互に排他的関係にあつて、同時に二つ以上の条項に該当することは有り得ないのである。原告等の雇傭関係の終了は「業務の都合による解雇」であつて第三条に規定する三つの場合に該当しないことは明らかであり、他方第四条は「事業の都合による従業員の解雇」の場合の退職手当率に関する定めであるから原告等に支払わるべき退職金額は同条に定めるところによるべきである。しかるに第四条は被告の株主総会が退職手当率の決定に関与し得る権限を有することを前提とした規定であるが、昭和二六年七月一日施行された商法の改正により株主総会は著しく権限を縮少せられ、その決議事項は商法又は定款に特別の規定がある事項のみに限定されることになつた(商法第二三〇条の二)。而して、商法自体にも被告の定款にも業務上の都合による大量解雇の場合の退職手当率の決定を株主総会の決議事項とする旨の規定は存しないのであるから、前記規定第四条は少くとも商法改正後は法律上不可能な事項を定めたものとして失効するに至つたものである。従つて原告等の退職金については右第四条の適用はない。仮りに右第四条が失効していないとしても、第四条による支給額は第三条による支給額より多額であるべきであるとの原告の解釈は右退職金規定の構成よりみて許されないものである。
なお、原告等の主張する「覚書」については、退職手当金規定制定の際の経営協議会の席上において組合代表者から同規定有効期間中の人員整理の場合の退職手当率について覚書記載内容の申出があつたが、被告会社代表者は人員整理を実施する必要がある時は被告会社の経理内容が悪化した場合であり、巨額の退職金を支払うことができないことも当然予想されるので確定的な退職手当率を決定することは到底不可能であるから、組合の申出に対しては「善処する」旨の答弁を為すに止めたが、右事実を記録として注意的に規定の末尾に覚書として附記したものにすぎず、従つて覚書は被告会社に道義的責任を負担せしめる趣旨のものに止まるか、又は単なる善処義務を定めたものに過ぎないのであつて、被告会社に対し具体的にその内容の退職金支払義務を負わしめたものではない。
(六) 仮に以上の抗弁が全て理由がないとしても、被告は組合との協定による退職金を供託したところ、原告等はその還付を受けたから、右金額以上の退職金の支払を求める権利を有しない。即ち、被告は前記九月二一日成立の労働協約によつて定められた退職金を原告等に支払おうとしたところ、その全部又は一部の受領を拒絶したので被告は昭和二九年一〇月四日名古屋法務局岡崎支局に対して前記労働協約に基く同年九月分以前の退職金(当初被告が組合に提示した率による金額とその五割増額された分の六分の一の金額との合計額)を供託し、次いで同年一一月より昭和三〇年三月までの間に逐次履行期の到来した分を供託したのであるが、その後原告等は昭和三〇年一二月より昭和三一年一月までの間に退職金につきその供託を受諾して全部之が還付を受けたのである。ところで被告は原告等に支給すべき義務のある退職金の全額として右各金額を名古屋法務局岡崎支局に供託したものであつて、原告等は右供託金の還付を受けるに当つて被告の供託の趣旨を受諾したのであるから、結局原告等は右供託金が原告等に支給さるべき退職金の全額であることを了承してその還付を受けたものであると認めざるを得ないのである。果して然らば本件退職手当金規定に基いて原告等に支給さるべき退職金の額が如何程であろうとも、格別の事情がない限り原告等と被告会社との間において被告が供託した金額を退職金の額とする旨の暗黙の合意が成立したか、又は原告等において、まだ受領しなかつた分についての権利を放棄したものと認むべきが当然であるというべきであるから、原告等が最早既に支払を受けた金額以上の退職金の支払を被告に要求する権利を有しないことは極めて明白であると述べ、
被告の抗弁に対する原告の主張につき、更に次のとおり反駁する。
(一) 原告主張の(一)の(イ)(ロ)(ハ)の事実の存することは認めるが、これは次の理由に基くものである。即ち、前記退職手当金規定の制定より以前の昭和二一年六月二七日被告と豊田工機労働組合との間に締結された労働協約第四条に「賃金、給与、就業時間、服務規程等に関する制度の改廃に関する事項に付いては会社及び組合双方承認の上これを実施するものとする」旨の規定があつたので、被告会社においては退職金制度は右労働協約に定める「給与に関する制度」の一として右労働協約の拘束を受けるものであり、「退職手当金規定」は一年の有効期間経過により失効しても同規定によつて定められていた退職金制度を改廃するに当つては組合の承認を要するものと解釈した。それで、右退職手当金規定の期間経過後も従前の退職金制度をそのまま踏襲するの外ないので、その後の解雇者に対しても前同様の退職金を支払つて来たに過ぎないものであり、又右の如き解釈をとつたために、右労働協約第四条に基く被告の義務の履行として組合に対し改正の申入れをなしたものであり、退職手当金規定の期間経過後も退職給与引当金の計上をして来たものであるから以上の事実があることをもつて原告等の解雇当時右「退職手当金規定」が有効に存続したものと断ずることはできない。
(二) 被告が退職手当金規定を廃止し、今次解雇者に対し特別の定めをするには組合との協議を経るを必要としない。即ち就業規則の前文には「これが適用並びに改廃」とあり該就業規則と別個の規定の適用改廃について迄協議義務が及ぶものではない。そして前記退職手当金規定は昭和二二年二月五日から実施されたものであつて就業規則が昭和二三年三月一日より実施されていることから考えても右退職手当金規定と就業規則とが別個の規定であることは当然の事理に属する処であるので被告がどのような方法で右規定の改廃を行うべきであるかということは就業規則の前文とは全く無関係な事項である。
仮に協議義務ありとしても元来使用者がその経営権の作用に基き事業場の規律を維持するための諸規定を一方的に制定改廃し得ることは当然の事理に属するところであり従つて使用者自身がかかる諸規定自体に於てその改廃につき組合との協議を要する旨を定めた場合に関しても、使用者が一方的に右規定中の協議を要するとの規定や他の規定を改廃することは何等妨げないのであり、使用者に義務違反が生ずることは格別、それによつて直ちに使用者の為した改廃行為が無効となるものでない。
(三) 被告と組合との間に昭和二九年九月二一日成立した協定は遡及効を有しないから原告等に効力を及ぼさないとの原告の主張は失当であるが、仮に遡及効を有するものとしても原告等は次の理由により被告会社に対し右協定により定められた金額を超える退職金の支払を求める権利を有しない。即ち、労働組合はその組織の目的自体に鑑み組合員たる労働者の労働条件の決定については市民法上の意味における代理権を有しているのであつて之を反対に解したのでは労働組合がその機能を発揮し得る余地は全く存しなくなるのである(その根拠は労働組合の設立又はそれへの参加を目的とする行為中には当然代理権授与行為が含まれていると解すべき点に求められる)。そして原告等は解雇処分を受けた時は勿論、前記協定が成立したときにも組合員であつたのであるから前叙の法理に照し、原告等に対する退職手当金の金額及びその支給方法の決定に対しては組合がその代理権を持つていたことが明らかであり従つて被告と組合との間に成立した前記の協定は当然原告等に対しその効力を有するものである。
仮に右の如き市民法上の代理権一般を労働組合が有しているとの理論を採用することができないとしても、本件においては原告等は組合に対し、退職手当金の金額及びその支給方法等の決定に付いての代理権を授与しているのである。即ち被告会社が昭和二九年九月一日本件人員整理を発表してから、組合と被告会社との間に二〇日に亘る団体交渉がなされた結果前記協定が成立したのであるが、原告等が組合による交渉を望まず、直接被告会社と交渉する意思を持つていたとすれば、遅くとも組合大会において条件闘争に入ることが決議された時は当然組合を脱退すべき筈であつたにも拘らず、敢えて組合を脱退しなかつたのは組合による交渉を信頼し、退職条件の決定を組合に一任していたがために外ならないのであり、従つて原告等は少くとも暗黙裡に組合に対して退職手当金の金額の決定等についての代理権を与えていたものと認むべきである。(証拠省略)
理由
一、被告が機械器具の製造販売を業とするものであり、原告等(但し原告中山貴代子についてはその亡夫中山岩吉、以下同じ)が孰れもその従業員であつたこと、被告は昭和二九年九月一〇日付で原告等に対し已むを得ない業務上の都合によるとの理由で解雇の通知をしたこと、被告が昭和二二年二月五日「退職手当金規定」を制定実施し、その第三条、第四条に原告主張のとおりの規定の存すること、被告と原告等所属の刈谷工機労働組合(全国金属労働組合愛知地方本部豊田工機支部の前身)との間に昭和二二年一月二七日原告主張のとおりの覚書が作成されたことは当事者間に争がない。
二、被告は右退職手当金規定は一年の期間満了により失効した旨抗弁するのでこの点につき先ず判断する。成立に争のない甲第三号証(本件退職手当金規定)の記載によれば規定附則第一条には「本規定ハ昭和二二年二月五日ヨリ向フ一ケ年間有効トスル」旨の規定が置かれていることが明白である。しかしながら、証人平野鎮雄の証言(第一回)によりその成立を認める乙第二号証、成立に争のない乙第八、九号証の各記載、証人平野鎮雄(第一、二回)の証言によれば、被告会社には「経営協議会」という名称を有する協議団体があり、その構成員は労使各同数の代表者を以て組織し、之が「給与ソノ他労働条件」を協議した上之に基き被告会社が就業規則その他の諸準則の制定、廃止、改変等を行つていたのであるが、本件退職手当規定も右経営協議会において審議制定されたものであるところ、右規定制定後一年を経た昭和二三年二月三日行われた右協議会においては規定の改廃が論議の対象となり結論として双方とも十分研究した上協議をすることとし新規定が決定する迄は現行のものを準用することとしたことが認められる。右事実によると、右退職手当金規定は一年の期間経過により当然効力を失つたものではなく、その名目は準用というにもせよ、その後も従前の形で有効に存続していたものと言わなければならない。成立に争のない甲第六号証の一、二の記載によれば、昭和二六年、同二七年においてそれぞれ規定第六条の改正が行われたことが明きらかであるが、之は規定の有効なることを前提としての改正と考えなければ到底理解できないことである。従つて右退職手当金規定が一年の期間経過により失効したとの被告の抗弁は失当である。
三、次に被告は昭和二九年九月一日右退職手当金規定を廃止し新たに今次人員整理に適用すべき退職手当金算定の準則を定めこれを組合に通知したから右規定は失効した旨の抗弁について案ずるに、右抗弁事実は原告の争わないところであるが、原告は右退職手当金規定の廃止は組合との協議を経ていないから無効であると再抗弁する。よつてこの点について考察するに被告会社の就業規則の前文には「これが適用並に改廃について被告会社と豊田工機労働組合双方協議の上、之を定める」との規定があり、第三六条には「前条の給与細部並に旅費、退職手当等諸給与については別に定める」との規定のあることは当事者間に争いがない。本件退職手当金規定は退職手当について定めた規定であるから、右退職手当金規定は就業規則第三六条に該当し、これに基いて別に定められた規定というべきである。尤も退職手当金規定は前記のとおり昭和二二年二月五日制定施行され、就業規則は成立に争いのない甲第一号証の記載によればそれより後の昭和二三年三月一日制定施行されたことが認められるが、退職手当金規定は先きに施行されているけれども、就業規則の制定施行によりその第三六条の内容をなし、同条に根拠を有するに至つたものと解すべきである。而して、右第三六条の「別に定める」とは単に規定の形式上別個に定めるというに止まり、その別個の定めも就業規則の内容をなすものというべきであるから就業規則前文の効力は第三六条の規定に基く別個の定めにも及ぶものと解するを相当とする。従つて右第三六条に基く本件退職手当金規定を改廃するには就業規則の前文により豊田工機労働組合との協議を要するものというべきである。ところで就業規則においてその改廃につき労働組合との協議を要するとの定めのあるに拘らず、会社が労働組合との協議を経ることなく就業規則の改廃をした場合、その改廃の効力如何というに、本来就業規則は使用者の経営権の作用として一方的に定め得るものであること、本件において労働組合との協議を経べきことの定めは労使双方の協議により作成された就業規則中においてなされているものであり、しかも労使間の協議が調わないときの措置等について何等考慮が払われていないことを考慮すると、右就業規則の定めは単に使用者が就業規則を改廃するについては労働組合と協議すべき義務を負担するという趣旨に止まり、これが協議義務を経なかつたとしても右義務の違反たるは格別、これをもつて規則改正の効力を左右する趣旨のものではないと解するを相当とする。従つて前記就業規則前文に所謂組合との協議を経なかつたことを理由としては本件退職手当金規定の廃止を無効ということはできない。
しかしながら、成立に争のない乙第八号証の記載によれば、被告会社と刈谷工機労働組合との間に昭和二一年六月二七日労働協約が締結され、その協約書第四条には「賃金、給与、就業時間服務規程等ニ関スル制度ノ改廃ニ関スル事項ニ付テハ総テ会社及組合双方承認ノ上之ヲ実施スルモノトス」との規定があることが認められるから退職手当金の改廃の如きも右の給与に関する制度の改廃に関する事項の中に包含されるものと解されるので、右退職手当金規定の改廃には右労働協約第四条の規定に基き労働組合の承認を要するものであり、労働組合の承認のない限りはその効力を生じないものというべきである。しかるに被告会社が昭和二九年九月一日なした右退職金規定の廃止につき組合の承認を得た事実を認むべき証拠がないからその効力は発生する由もなく、従つて右退職手当金規定は失効することなく、なお有効に存続するものと断ずるの外ない。よつて被告の本抗弁は理由がない。
四、次に被告は昭和二九年九月二一日被告と組合との間に原告等に支払うべき退職手当金について特別の定めをした労働協約が成立したから原告等の退職手当金はこれによるべく、前記退職手当金規定の適用はないと抗弁するので、これについて検討する。証人内藤進、同平松松平、同平野鎮雄(第一回)の各証言並びに証人内藤進の証言によつて成立を認め得る甲第二二号証、成立に争のない乙第四号証の記載によれば次のような事実を認めることができる。被告会社は昭和二八年ごろより経営状態が悪化し金融状況も極めて苦しくなり経営の行き詰りを生じたので、従来の営業の規模を七割程度に縮小した上再出発を期したのであるが、その方法として従業員三六六名を解雇すること、従来の規定による退職金の支払が高率であつたので之を打切り、新たに従前より低額の退職手当金率を定めることに決し、昭和二九年九月一日組合に対し解雇者三六六名の氏名を列記し、これを解雇するにつき組合の協力を望むこと、右解雇者には特別に定めた退職手当金を支給すべきことを記載した「申入書」と題する書面(乙第四号証)を発した。之に対し組合は同日第一回臨時大会を開き、全面的に会社の申入を拒否し、実力行使を含む全ゆる手段をもつて闘争する旨の宣言を発すると共に数次の団体交渉により会社と折衝したのであるが、会社側は従前の強硬方針どおり三六六名の解雇を強行し九月一〇日には各個人宛解雇を通告したので、同日組合大会(第二回臨時大会)を開き組合の態度を協議し、最悪の場合には三六六名の解雇を認め、条件闘争に入るか否やを議題として討議したけれども結論を得ずして延期し、同月一五日開催の第三回臨時大会において再度討論、採決の結果、条件闘争案が賛成多数で可決され、翌一六日から解雇者の処遇その他の具体的条件につき組合と会社との間に団体交渉が開かれ、その際具体的に退職手当率の問題も討論され、更に翌一七日及び一九日退職手当率を九月一日に会社側から提示された申入書に記載されているものにどれだけをプラスアルフアーするかという細目についての大綱が論議され、之については総額一、二〇〇万円を加算した額とし、各個人へのその配分方法は当初提示した率に五割を乗じた額とする(但しその具体的計算は会社において行うものとし、組合に一、二〇〇万円の分配を一任するという如き方法はとらない)旨の案を双方とも承認し、その他勤続年数の算定、年次有給休暇残日数の計算、社宅の明渡日時、帰郷、移住旅費の支給等の細目についてもそれぞれ了解点に達した。翌九月二〇日再度退職金の増額につき組合側から団体交渉を求めたが会社側は之を拒否したので、最終的に解雇を認め、之に伴う具体的条件について団体交渉の席上双方承認した案をのむか否かにつき組合大会を開催し、賛成六四一票、反対四三一票(無効三四票)を以て闘争委員会の方針を承認し、闘争を最終的に終結した上、翌二一日被告と組合との間において前記の双方承認事項を記載した協定書(乙第五号証)を作成し、被告会社代表者常務取締役木村柳太郎と組合代表者委員長石原天童とが之に記名押印したものである。
右協定はその当事者、内容、形式からみてその性質は労働協約であり、原告等の退職金については従前の労働協約に基く退職手当金規定による退職金の定めを変更したものといわなければならない。そして右協約の効力は原告等が右協定成立当時右組合の組合員であり、又それ以前に被告会社を退職していない限り、原告等に及ぶものといわなければならないが、成立に争のない乙第一五号証の記載によれば、右協定成立当時原告等が右組合の組合員であつたことが認められ、又原告等が右協定成立以前において被告会社を退職していたことを認むべき証拠はない。尤も前記のとおり被告会社は原告等に対し昭和二九年九月一〇日解雇通知を発したが、右は三〇日前の予告を伴わなかつたものであるから同日解雇の効力を発生しないものであり、又同日の通知を解雇の予告と解しても右協定成立当時は未だ三〇日を経過していない(九月一〇日の組合に対する解雇通知を予告と解しても未だ三〇日を経過しない)から協定成立当時は解雇の効力を発生していないものといわねばならない。従つて右協定成立当時原告等は未だ被告会社の従業員たる地位にあつたものというべきである。よつて右協約の効力は組合員にして被告会社の従業員たる原告等に及び、原告等を拘束するものといわなければならない。而して前記の如く右協約はその内容において原告等の退職金につき従前の退職手当金規定によることを変更し、特別の定めをしたものであるから、原告等は自己の退職金につき従前の退職手当金規定に基いてこれを請求する権利を有せず、唯右協約の定めるところによつてその支払を請求する権利を有するに過ぎないものというべきである。
そこで被告において右協定書に定められた額(即ち当該解雇者の理論平均日額に勤続年数に応じ、乙第四号証の系数を乗じて得た額に更にその五割を加算した額)をそれぞれ解雇者に支払つたか否かにつき判断するに、原告等の勤続年数については当事者間に争がなく、証人栗林野生美の証言によれば、被告会社備付の諸帳簿を取り調べた結果原告等(但し原告田口公司を除く)の理論平均日額が被告主張の別紙第三表算定基礎額欄のとおりであつてこれに右勤続年数に応じた乙第四号証の系数を乗じた額に更に五割を加算した金額が被告の主張のとおり別紙第三表の会社が支払つた額欄記載の金額となることが認められる(原告田口公司については被告の主張を欠くから原告の自認する別紙第二表中同原告の第五欄を右同様にして算出した金額と認めるの外はない)。右金額が九月二一日成立の前記協定により原告等において被告に対し支払を求め得べき退職金である。しかるに、被告は原告等に対し夫夫右金額を供託し原告等においてその還付を受けたことは原告等の認めるところであるから原告等は右金額以上の退職金を請求する権利は之を有しないと言わなければならない。よつてこれを求める原告等の請求は孰れも失当として棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九三条を適用し主文のとおり判決する。
(裁判官 伊藤淳吉 小渕連 水野祐一)
(別紙省略)